作庭記68

浜松の造園屋ふなこし

2006年05月27日 17:38

□高陽院殿顛末□



高陽院殿修造の時も、造園が出来る人がおらず、たまたま少しかじっていた為に召しつけられた人も、施主である藤原頼通の理想には叶わないと辞めてしまい、藤原頼通が自ら造園の監督をした。



その時には日参して、石組みの指示と作業をつぶさに見ていたのだが、



「造園している間に良い石をもってきた人は、なかなか出来た奴だ」



とおっしゃっているという噂を聞いて、公家の誰もが良い石を探して山に入っていかれた。


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